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先生と呼ばれる人に関わったのは幼稚園から。
顔は覚えてないけど、多分2年目、年長さんの時にお昼寝の時間が取られて、床に寝かされた(保育所じゃないので寝具は無し。頭には何か敷いたような気もする。多分猛暑だったんだろう、単発で休む時間が設けられたんだと思う。)時、先生が団扇で扇ぎながら巡回していて、その風が優しかったので先生に優しい印象を持っている。
でも私はずっとイジメられっ子だったので、それに関しては守っては貰えなかったわけだ。
小学校に上がって最初の先生はやっぱり顔は覚えていない。
怖い印象が残っているのは授業中、トイレに行きたいと言ったら「何で休み時間に行っておかなかったの!」と凄まれたから。
で、どうしたかは覚えていない。
でもやはり一喝されて席に戻り結局粗相して泣いてしまった男の子が居たのを覚えている。
2年の担任は戦争経験者でおばあちゃんだった。
いい人だったけど、説教がやたらめったら長かった。
落ちこぼれの私を何とか助けようとあれこれ責任を持たせたり工夫してくれたけど私は応えられなかった。
3年は上がった時、担任は産休に入っていて代任だった。
まだ教師ではなかったと記憶する。
初日の朝礼で緊張しまくってどもってた。
担任になってみると優しくて人気者の先生になった。
本当の担任が復職したらとても厳しい人で、皆ギャップに戸惑った。
4年の担任は私立女子中学から来たと聞いたけど、定かではない。
陽気で生徒と一緒になって遊ぶ人だったけど、その反面よく話をする生徒以外に目を配れる人ではなかった。
5、6年は新任の美人さん。
いきなり高学年を担任させられて威厳は保てずヤンチャな男の子達に手を焼いて泣いていた。
女子が慰めていたけど、今思えば「そりゃダメだろ。(苦笑)」だ。
4年の時の担任が熱烈アプローチしているのを見て皆がわいわい言った。
フラれたからか別件か、6年に上がる時、その先生は私立女子中学に帰っていって、替わりに3年で臨時担任だった先生が教師になって帰ってきたけど、すっかり性格が荒んでいたと聞いている。
私のクラスの担任は6年の途中で結婚して幸せオーラを振り撒いていた。
(本当は2学年クラスも担任も持ち上がりの方針の小学校だったんだけど、何故か私のクラスは担任が辞めてしまったらしく、持ち上がったのは5、6年だけだった。)
中学は1、3年で同じ担任に当たった。
私には大ハズレの先生だった。
2年では厳しくてあまり好かれていない先生だったけど、私には良い先生だった。
好きなコとも久しぶりに同じクラスになれたし、同窓会するなら2年のクラスでやりたいくらいだ。
中学は部活の顧問も私には大ハズレだった。
高校はまだ新しい学校で、定年間近なベテラン教師と新米教師、あるいは教員免許未取得の講師が半々だった。
若い先生達は年齢が近い事もあって友達みたいだった。
新米をちょっと出たくらいの先生は兄姉みたいだった。
落ちこぼれで鼻にもかけて貰えなかった私は、高校でやっとまともに扱って貰えるようになって、のびのびできた。
担任はずっと大の苦手の数学の先生で1、3年は同じだったけど、担当教科の成績が悪いからと言って蔑ろにされたりはしなかった。
教えるのが下手くそな先生も居たけど、中学の時とは違って、気持ちが優しくて情熱を持った先生が大半だった。
後から聞いたところでは、先生にとってもかなり特異な学校の状況だったようだ。
一番の出会いは美術を担当して貰った先生。
可愛がって頂いて、ベコベコに凹んでいた私をフクフクにしてくれた。
美術を軸に世の中も見せて貰った。
先生って、ものすごくたくさんの時間を一緒に過ごすから、どんな人物かが大事だと思う。
もっと適性検査みたいなのを免許取得に取り入れて欲しいくらいだ。
私が生まれてすぐ、母は実家代わりのとあるお宅に身を寄せていた。
まあ里帰り出産みたいなものだった。
そのお宅では犬を飼っていた。
コッカースパニエルだった。
自宅にはスピッツみたいな毛あしの長い雑種の犬が居た。
同居の末の叔父さんは多趣味でペットも色々飼っていて、鳩が沢山居たりもしたし、私の記憶ではそのへんで捕まえた蛇やらなんやら入った水槽が有った事も有る。
玄関には金魚。
叔父さんはその後しばらく部屋でグッピーとか熱帯魚も飼ってた。
縁側には文鳥。
何度か庭に鶏小屋が置かれた事も。
犬はほとんど切れ目無く飼ってた。
猫は2匹。
数年は重なってて、どちらも茶トラ。
鶉を飼ってた時期は猫の居た時期に重なる。
金魚の半分くらいと、鶏、鶉はお祭りの出店から我が家にやって来た。
鶉と猫は私の育児実習にもなった。
夜泣きするんだこれが。
夜中にピヨピヨ無く鶉に後から来た猫は排泄の世話も必要な子猫の頃に拾ったから。
猫の離乳はあっという間だけど、人間は年月がかかる。
責任の重さもドッカリかかる。
私は「育てる」事にまるで向いてない。
ペットは子供に有りがちな「絶対ちゃんと世話をするから!」とか言いながら、結局母親に任せちゃうパターン。
でも鶉と猫の赤ちゃん期は頑張った。
初めての鶉はテキヤのオジサンの言葉を鵜呑みにして死なせてしまい、後から犬を診てもらっていた獣医さんで飼い方を教わった。
二度目の鶉は大事に育てたもんだからかなり懐いてくれた。
さらにゲットした数羽は鶉同士で寄り添って育ち懐かなかった上に成長したら狂暴で先住のおっとり鶉はイジメられた。
ナリは小さいのに縄張り意識が強くて一羽ずつカゴの鶉にしなきゃならなくなった。
奴らは私の妊娠を機に実家に引っ越して、犬、猫、鶉の体制に。
鶉はテラス。
犬猫はテラスから縁側、室内の一部に。
お腹が目立ち始めた頃、二匹目の猫を保護して出産後はまた実家に里子に。
阪神大震災の日は実家に泊まってて、揺れてる間、旦那と私の足に一匹ずつ猫がしがみつき、犬は母と手を取り合ってた。
数年前に最後の猫が他界してからはペットは居ない。
かろうじて妹宅とうちに子供が出店でゲットした金魚が居るのみ。
温みの有る人間以外の生き物が家族に加わる事はもうないのかも。
寂しい半面、歴代のペット達以上の動物にはもう出会えない気もする。
せっちゃん、ちよちゃん、ひとっさん、たーぼー。
まさはんの姉妹弟。
まさはんが嫁を貰った頃、すぐ近所に住んでいた姉のせっちゃんは心を病んでいて、気に食わない事が有るとやって来て八つ当たり三昧。
力任せに玄関引き戸をガラガラバシーン!
ドカドカ上がり込み、食事が用意されていようがテーブルをひっくり返し、そのままの勢いで自宅に帰って行く。
せっちゃんには二人の息子がいる。
下の子はまだ赤ん坊だったけど、オムツも替えず育児放棄で寝ていたそうだ。
せっちゃんは鬱だったのだ。
その後白血病を患って実家で息を引き取った。
まさはんの両親は昔、末から二番目の息子を生まれて三日目で亡くした以来の逆縁の不幸にあった。
ちよちゃんが嫁に出、夫と商売を始めた。
ちよちゃん達には子供が無く、まさはんの長女は小学校に入って夏休みになると1週間程をちよちゃん家で過ごし、店番をして手伝ったりしていた。
ひとっさんは就職先を遠方に見つけ、その地で伴侶を得た。
ひとっさん一家は頭脳派で、子供達は高学歴。
頭の良い弟とその子供達が自慢で、自分の子供達が阿呆で鈍臭いのは母親の血だと言い放った。
まさはんは嫁の親族も軽んじて、嫁自身の事もその立場を思いやった事は無かった。
長男の脳障害を受け入れられず都合の悪い記憶は消去して、今は当たらず障らず口もほとんどきかず一つ屋根の下の一階と二階で暮らしている。
次女はコッテン牛のまさはんに極力関わらないようにしている。
たーぼーは長いこと一緒に暮らしていた。
三男坊のたーぼーは恋愛もしたようだけど、見合いも沢山した。
でも来るのがほとんど婿養子の口で、プライドが許さず長らく独身貴族を気取っていた。
せっちゃんが他界し父親が子連れで実家に帰り空き家になっていた家を建て替えて独立してからも、夕飯は実家に帰り食べていた。
たーぼーは一家を構えたとはいえ、実質入り婿の座に収まっている。
まさはんは自分のきょうだいが大好きだ。
特に妹はかわいいらしく、初めて生まれた娘の名前に一字を取った。
が、その子はしっかり者の妹ではなく、むしろ口だけ大将の姉に似て鬱になったりした。
暴れないのだけが救いかもしれない。
ちよちゃんも、ひとっさんとその子供達も、どんなにかわいがって御自慢でも、まさはんの世話をしてくれるわけではない。
妻には家庭内別居を決め込まれ、娘は嫁に行き、残るのは事実上ニートの息子だけ。
年金暮らしの楽隠居のはずが、妻の大病でてんやわんや。
とんちんかんながらも本人なりに頑張ってはいるが、老いに勝てない事も増えつつ有る。
どうする、まさはん。
私が通った中学は、私が入学する数年前に一つの学校が分割された新しい学校だった。
分割された当初、母体校と新設校はいちいちいがみ合っては新聞沙汰になる喧嘩騒ぎまで起こした。
私が通う頃には一応落ち着いてはいたものの仲が良いわけではなく、塾で知り合ったあちらの校区の子は「そっちに友達がいるって知られたら意地悪されるから、塾以外で会っても知らん顔すると思うけどゴメンね。」とか言っていた。
中学内では秀才もいれば不良もいて、あの世代特有のザワザワ感が有った。
一つ上の学年は、抗争(笑)当時のカラーが色濃く教師陣の手を焼いていた。
一つ下はヤンチャだった。
私の年が最高学年になったある日、近隣他校が殴り込みにやって来た。
武器を手に裏門から部活に励む生徒に「お前んとこの番長出せや!」と凄んだそうな。
声を掛けられた生徒は困った。
不良に絡まれたとか、部活を邪魔されたから困ったわけではなかったそうで、番長が誰なのか分からなかったから。
そうこうしている内に事が教師の耳に届き、喧嘩には発展しないまま他校生は散り散りに逃げ失せたんだと、翌朝の朝礼で知らされた。
再度そのような事が有っても相手にしないようにと教師は言った。
ざわめく生徒。
殴り込みがどうこうではなく、誰が番長かその場になっても誰にも分からなかったから。
「お前か?」「あいつちゃうか?」「アホ、○○抜かして番長なんて言えるか。」「そやけどアイツに子分なんかおらんで。」ザワザワザワ…。
不良達が一目置く一人の生徒がいたんだけれど、その子は徒党を組むのを好まなかった。
その子本人もそれなりにヤンチャだったようだし喧嘩も強いとか。
でも一目置かれた理由は父親がヤクザだと噂されていたかららしい。
“本物”の手前、どうにも調子がでずうやむやな感じになっていたようだ。
私達の学年が卒業すると抑えが効かなくなったヤンチャ達で学校はかなり荒れたようだった。
高校に上がってみると、やっぱり上下のヤンチャが目立って私の学年は教師の目におとなしく映っていた。
ヤクザの息子と噂された子と同じ学校だったわけではない。
どうやらそういうヤンチャはいても全体におとなしい学年だった。
中学の一期上は“ワル”って感じだったけど、高校の一期上は自由奔放なヤンチャって感じだった。
愉快な先輩が大勢いた。
その愉快な先輩達の中に将来の夫がいようとは気付くはずも無く、在学中には接点もほぼ皆無だった。
本当にひょんなきっかけで先輩達の卒業間近に小さな出会いが有り、その後の付き合いに繋がっていく事になる。
中学で知り合ったMちゃんとはたまたま高校も同じだったけど、高校ではあまり近しい感じではなくなっていた。
Mちゃんとはその後の進路で別れたけど、共通の友達もいたし、細く長い付き合いが続いて今では親友だ。
夫とは別れてしまったけど、二人の息子がいる。
出会いと別れ、縁って不思議。
中学はその後も荒れたりおとなしくなったりカラーの定まらない様子。
御多分にもれずイジメ問題も起こっているし、かと言って目立ってワルでも無く、伝統的に血気盛んな学校ほどではないようだ。
上の息子はその中学で揉まれ、たくましくはなれなかったけど今は飄々と高校に通う。
一応友達もいるらしい。
下の息子はまだ小学生だけど、いずれあの中学に入学する。
小学生の頃には大して問題の無かった長男に比べ、次男はトラブルメーカーなので、難しい年頃になる中学時代がどうなるのか心配。
小学校区の催しにはとりあえず参加希望の次男と飄々として無関心の長男。
どっちが得な性分かしら。
私は小中でイヤな思いを沢山した。
やっと高校で人間も自分も捨てたもんじゃないって思えるようになった。
長男は中学でちょっとつまづいたけど、本当に飄々と生きているように見える。
次男は苦難を引きずっていて、ひょっとすると中学は正念場になるかもしれない。
教師は学校全体が荒れるとそっちにかかりっきりになる。
次男は長男と同じように助けては貰えないかもしれない。
ま、酸いも甘いもそして苦いも辛いも青春の1ページ。
美味しい思いは少ないかもしれないけど他の誰にも代われない自分だけの人生をしっかり噛み締めて、思い出の味を以降の人生の役に立ててくれたらと願う母です。
小学生のいつ頃だろう、マスコット作りにハマった。
一つ目は味噌汁に入っていたアサリのカラと端切れのヤツ。
多分おばあちゃんから教わったんじゃなかろうか。
いくつもいくつも作った。
おそらく「じょうずだねぇ」「かわいいねぇ」と母に褒められて調子に乗ったんだろう。
次がフェルトで作るイチゴのヤツ。
赤と緑のフェルトで、黒のビーズの種付きだった。
要らないキーホルダーの金具を外してリユースした。
これもいくつも作っては母に上げた。
母はニコニコして貰ってくれたけど、「もう貰ったよ」と返された事も有った気もする。
多分宿題とかやるべき事そっちのけで作ってたと思う。
凝り性の根気はすっかり萎えてしまったけど、性分としては残っている。
やるべき事そっちのけなのはずっと変わらない。
困ったちゃんな私。
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